フェアトレード

22
10月

フェアトレードとは?

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fairtrade_9アジアやアフリカ、中南米の、自然素材を使ってていねいに手仕事で仕上げたぬくもりのある雑貨や服には、大量生産・大量消費の製品にはないぬくもりがあります。
また、安心・安全なコーヒー、紅茶、スパイスなどの食品。それらを選んで使うことは、私たちの暮らしを豊かにしてくれます。
「貧しい国」の人たちが作ったものをチャリティで買うのではなく、いい品物で気に入ったから買ったら、それが結果的に作り手の応援につながる、そんなお買いものって素敵です。
利潤のみを追求した貿易では、経済的・社会的に厳しい立場の人々にとって、過酷な児童労働を生み出したり生産者の生活が成り立たないほど買いたたくことになったりします。その国や地域の文化・技術を生かしながら継続的に収入を得る機会となる貿易のシステム、それが“フェアトレード”です。それは、作る人、買う人が「もの」を通してつながることです。


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バングラデシュでフェアトレードと出会う 森田敦子

「うわーっ!有明海の干潟みたい!」
1999年8月、バングラデシュの首都ダッカの国際空港に降りる前に飛行機の窓から見えた雨季の終わりごろの景色は、見渡す限り水の大地でした。

バングラデシュの人口は、99年に訪ねたころは日本の面積の約40%に日本と同じくらいの約1億3000万人でした。今では、人口減少している日本よりも3000万人多く1億5000万人になっています。人口密度は世界一。国土のほとんどが肥沃な農耕可能地域で、米の2期作、一部では3期作までされています。その豊かな大地が多くの国民を養っています。ガンジス川、ブラマプトラ川、メグナ川、この3大河川が大量の水と肥沃な土砂を運び、ベンガル湾に流れ込みます。
「ショナール・バングラ(黄金のベンガル)」と、偉大な詩人タゴールはその豊かさと美しさをたたえました。

蓮の花の間を小舟で渡り、たどり着いたダッカ近郊の民家に一晩泊めてもらいました。その夜、はるかに続く水の大地のむこうに稲妻が走る雲が低くたれこめ、その上には明るいお月様が光る光景は、今も目に焼き付いています。どこからか(たぶんラジオから?)ベンガルの音楽が聞こえてきました。「ここは地球の上?SFの世界?」

豊かさを運ぶ水も、ときに人々に襲いかかります。サイクロン(熱帯低気圧)が発生し、2年に一度は湾岸地方に被害をもたらします。2007年11月にサイクロン・シドルが上陸したときには、死者・行方不明者4200人と被災者900万人の被害が出ています。
特に低地に暮らす貧困層には、サイクロンのたびに大きな影響があります。


村の女性たちに会いに行ったとき、遠いところからやってきた私たちを歓迎して、即興で詩を作って唄ってくれました。バングラデシュで使われているベンガル語は彼らにとって宝物です。
「東パキスタン」の時代、最終的に独立してバングラデシュになるきっかけとなったのは、パキスタンによってベンガル語を禁止されるという政策がなされたためでした。
1971年にパキスタンから独立して40数年、一人当たりの国民総所得は当初の世界最下位ランクの160ドルから、ここ数年は年5%の伸び率で成長して2008年には520ドルとなりました。縫製品などの輸出も経済成長を牽引したといわれています。
ただ、バングラデシュ国内の貧富の差が拡大していて、世界共通の貧困水準である1日の所得1.25ドル以下で暮らす人たちは総人口の約半分いるのです。また、都市部の安い賃金で働く人たちの劣悪な労働環境や多くのストリートチルドレンを生み出していることも大きな問題です。

2012年に再び訪れたときに、ダッカ市街地で見た縫製工場が入ったビルです。かなり老朽化していました。どんどん開発されていた街のあちこちで、2階建ての上に竹で骨組みを組んでブロックを積み上げるようなかなり危なっかしい工事をみかけました。
翌年2013年に、ダッカ郊外の8階建て縫製工場が崩落して1000名以上の死者を出す大惨事が起こってしまいました。6階から上は不法に増築された建物でそこで生産されていたのは、先進国で大量に安く流通するファストファッションの製品でした。労働者の安全を守ることより安く上げることを優先して事故を起こした会社の責任は重大です。さらに、「安ければいい」と買いあさる先進国の消費者の責任も問われるのではないでしょうか。



バングラデシュのNGO

バングラデシュでは、地元の民間企業や政府よりNGOが大きく発展しています。
教育・農村開発・経済活動・保健衛生など、その多くを小さい規模から大きな規模までたくさんのNGOが担っています。
最大のNGOは、“BRAC(ブラック)”。スタッフ約12万人、国内の95%の広い地域で活動し、全人口の76%(1.1億人)をカバーしています。ダッカの一角に高層ビルを数棟所有し、大学、ホテル、銀行、それにとてもおしゃれでグレードの高い高級手工芸品店アーロンなどを運営しています。

欧米、日本などの海外のNGOも多く活動しています。日本のNGOの中でも、1972年、建国の翌年に活動を始めた「シャプラニール=市民による海外協力の会」は老舗中の老舗で、私も94年から会員になっています。1999年と2012年に、シャプラニールのダッカ現地事務所や農村の地域センターにお世話になりながらバングラデシュの人々の暮らしや活動を学ばせてもらったり、フェアトレードで働いて生活を切り開いている女性たちに出会わせてもらったりしてきました。



NGOが運営するフェアトレードの生産現場を訪ねました。
“BRAC”の運営する工房では、手紡ぎ・手織り・汚染の少ないアゾフリーの染色・きれいな刺繍のほどこされたものなど、丁寧な手作業がおこなわれていました。


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バングラデシュ最初の、貧困層の仕事づくりのために1972年にスタートした“ジュート・ワークス”。キリスト教のシスター・リリアンが創設。体の不自由な人たちが優先して働いています。
てとて舎でも人気商品のジュートスリッパやジュートバッグはここから来ています。

ダッカから北へ約120kmにある古都マイメンシン。2012年に、石けんとリサイクルサリーの工房“セイクレット マーク”を訪ねました。「She with Shaplaneer」(通称Sheソープ)シャプラニールが手掛けたアーユルヴェーダの石けんプロジェクトを見たかったのです。


fairtrade_5Face用Sheソープの柔らかな泡立ちは小さくなっても最後まで変わらず、しっとりと洗えます。さわやかでほのかなレモングラスの香り、洗練されたパッケージ。
東京の高級デパートでも高く評価される品質です。
離婚や夫との死別、貧困など、さまざまな事情から、仕事がなく一家離散や売春をせざるを得なかった23名の女性たちが、苦難を乗り越えた末に新しい仕事としてアーユルベーダソープを作っていました。シャプラニールは彼女たちに寄り添って、プライドを持って働けるための仕事づくりに挑戦しています。


「2人の子どもがいます。工房の収入で子どもたちを学校に行かせたい。」
「私たちはもっとたくさんいい石けんを作れます。石けんをいっぱい売ってほしい。仕事がもっとあるといい。」と、女性たちは言っていました。

「お買いものは投票することと同じ。」何を選んで買うかで世の中を変える力があります。一人では小さいことだけど、作った人に思いを寄せてフェアトレードで選んだお買いものをする人たちが増えればきっと大きな力となります。
てとて舎は、フェアトレードの商品をそろえることでその考えに賛同します。